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鹿児島県上野原縄文の森

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カテゴリー: 縄文の森

縄文の森から 平成27年4月

平成27年4月28日(火)

ただいま開催中!

 ミニ企画展「新指定の県指定文化財」

平成27年4月17日(金)に新指定された県指定文化財をパネルで紹介します。

【場所】展示館ホール

*観覧無料

山ノ口遺跡出土品 有形文化財(考古資料)

第42回 蘇るSHOKU Ⅰ

  • 上野原縄文の森 第42回企画展
    (よみがえ)るSHOKU Ⅰ
    ~「食」から見える(いにしえ)の生活~
  • 開催期間:平成27年4月17日(金)~平成27年7月5日(
  •    
       
     ()(もの)を求めて山野を()(めぐ)遊動(ゆうどう)の生活から,農耕などによる定住の生活へ…。
     
    人は,環境の移り変わりに適応(てきおう)しながら,生き抜くため身近にあるものを活用し,食を確保するために知恵と工夫を()らして,多種多様な道具を作ったり,調理や保存の方法などを開発したりしてきました。今回の展示では,発掘調査で得られた多くの情報から「蘇るSHOKU」の第1弾として,古の人々の生活ぶりを,「食」というテーマで紹介します。

     ※今年度は,「SHOKU(しょく)」という言葉の(ひび)きに視点を置き,事や色彩(しきさい)装飾(そうしょく)(しょく)(仕事)などをテーマに()(しゅ)()(よう)な出土品を紹介します。

     
     「市来貝塚」の貝層 (剥ぎ取り資料) 【縦3m横1.2m】
     
     この貝層は,平成4年の市来(川上)貝塚の発掘調査の際に()ぎ取られたものです。貝層には,カキやハマグリなどのいろいろな種類の貝や,獣の骨,魚の骨など,縄文人が食べたあとに()てたものが大量に堆積(たいせき)しています。ほかにも割れた土器片や貝輪の未製品,軽石製品などを見つけることができますが,まだいろいろと隠れています。ぜひ,自分で探してみてください。
    •  ※カーソルを置くと,拡大してご覧になれます。

      ※ 下の遺物は,「剥ぎ取り資料」の中から見つけたものです。どこに隠れているでしょうか?
           
      土器片(市来式土器)  軽石製品  貝輪の未製品 
       
  • ■注目の一品~企画展展示品から~■
  • 台付皿形土器(草野貝塚・鹿児島市教育委員会)
     縄文時代後期(約3,500年前)の台付皿形土器です。土器を真上から見ると,皿部は一辺が9.5㎝の正方形をしており,脚部は円形で直径が7.8㎝,底部から頂点までの高さは約10㎝です。
     皿部は4つの(りゅう)()を持つ波状の口縁で,脚部には2カ所の()かしがあり,皿部と脚部をつなぐ部分の左右には(とっ)()がついています。
     また,隆起部を中心の軸として,左右(たい)(しょう)になるように(きざみ)()沈線(ちんせん)()(よう)(ほどこ)されており,沈線部には赤色顔料が()られています。
     
     画像をドラッグしたまま左右に動かしますと,土器の回転画像をご覧いただけます。
    また,タブレットでは,拡大した画像を回転させてご覧いただけます。
  • ■企画展講演会■
  •  平成27年5月9日(土) 13時30分~ ※終了しました
       講 師 : 熊本大学文学部教授  小畑 弘己 氏
       定 員 : 80人程度(※要事前申し込み)
       場 所 : 縄文の森展示館多目的ルーム
       資料代 : 100円
        ※ 講演会終了後,希望者を対象に,企画展示室でギャラリー
         トークを行います。(別途展示館利用料金が必要)
  • ■企画展ギャラリートーク■
  •  企画展開催中に展示の解説を行います。
     【日時】 開催中の毎週土・日・祝日
     【会場】 企画展示室   
         1回目 10:30~
         2回目 14:30~ 
         ※各回30分程度 双魚文青磁皿(白糸原遺跡 南さつま市)

考古ガイダンス第2回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第2回 国家形成と仏教
  • 遺跡位置図以前,テレビなどでお地蔵様の首がなくなるというミステリアスな事件が報道されたことがありました。鹿児島の寺・寺跡では,腕や首のない仁王像を見かけることがあります。これは失敗作やいたずらによるものではありません。

    今から130年ほど前,明治政府が出した神仏分離令(しんぶつぶんりれい)を機会に,寺や仏像が取り壊されたからです。明治政府に鹿児島出身の高官が多かったため,鹿児島では特に徹底していました。しかし,過去にさかのぼれば政府により仏教が手厚く保護されていた時代もありました。

    朝鮮半島から仏教が伝わり火葬の風習やその他新しい文化が広まりました。政府は社会の不安や動揺を仏の力で鎮めるため仏教を保護し,寺や僧侶らを管理しました。
  • 741年に聖武天皇(しょうむてんのう)は東大寺を総本山とする国分寺・国分尼寺を建設せよと命令しました。これを受けて,鹿児島にも薩摩国,大隅国,タネ嶋の三か所に国分寺・国分尼寺が建てられたのです。
  • 薩摩国分寺復元予想模型川内高校裏門から踏切を渡って北へ延びる道が,奈良・平安時代のメインストリートでした。歩いてみると昔ながらの細い道は古代の条里(土地区画)の跡を残していますし,付近の畑には土器や瓦のかけらも落ちています。

    このメインストリートの中央あたりが,古代の役所「国衙正庁」(こくがせいちょう)跡です。そして突きあたりを右に曲がると「薩摩国分寺」です。国分寺のある台地からは市街化した川内平野がよく見渡せます。聖武天皇の言った「必ずよい場所を選んで建てるように」にふさわしい場所でした。
  • 【写真 薩摩国分寺復元予想模型/『薩摩国分寺跡環境整備事業報告書』川内市教育委員会より】
  • 国府と国分寺跡発見のきっかけを作ったのは,川内高校の平田信芳(ひらたのぶよし)教諭と郷土史研究クラブの生徒達でした。彼らはまず,川内高校周辺の字絵図をつなぎ合わせ,実際にその現場を歩いて土器や瓦の落ちている場所を調べていきました。すると薩摩国府の碁盤(ごばん)の目状の土地区画が絵図上に浮かび上がり,遺物の出る範囲と一致しました。
  • 昭和39年には川内高校の名で発掘調査が行われ,国府に関係する建物跡を発見しました。この実績が鹿児島県や県内の考古学者を動かし,県教委主体の調査が始まりました。鹿児島県で初めて行政が乗り出した調査でした。そしてついに平田教諭らは国分寺金堂を掘り当てました。
    これまでの調査から,国分寺の範囲は,南北120~132メートル,東西121メートルで四方を大溝が,その外側に大垣が廻っていたことがわかりました。建物は中門,中金堂,講堂を中軸線上に置き,回廊の東に塔,西に西金堂が配されており,大和の川原寺の類型といわれています。

    薩摩国分寺が建てられたのは,文献の研究から奈良時代終末ころだと考えられています。発掘調査で出土した瓦の年代からも裏付けられています。薩摩国分寺は他国に比べて少し遅れて建てられたようです。しかし,都から遠く離れた国分寺としての実情や,実際に国分寺を経営していた役人の動向はわかっていません。
    現在は史跡公園として整備され,市民の憩いの場となっています。中に立ってみると華やかな国分寺の姿が目に浮かぶようです。
  • 史跡公園として整備された薩摩国分寺跡
    史跡公園として整備された薩摩国分寺跡
    『薩摩国分寺跡環境整備事業報告書』
    川内市教育委員会より
    薩摩国分寺より出土した瓦の文様のいろいろ
    薩摩国分寺より出土した瓦の文様のいろいろ
    『薩摩国分寺跡環境整備事業報告書』
    川内市教育委員会より
  • 大隅国分寺に残る康治元年銘の石造六重層塔と仁王像休日には家族連れでにぎわう城山公園を下り数百メートル歩くと市公民館が見えてきます。この敷地内に石塔と首・腕のない仁王像などがひっそりと残っています。この一帯が大隅国分寺跡と言われています。

    残念ながらここに国分寺の伽藍(がらん)があった当時の面影を見ることはできません。ここは,国の史跡「名勝天然記念物」として指定を受けています。

    これまで数回の調査が行われ,北端と思われる溝跡や瓦の集中区などが見つかりましたが,まだその範囲や伽藍配置などはわかっていません。

    多数出土する軒丸・軒平瓦は4種類あり,日向国分寺のものに似ています。
  • 【写真 大隅国分寺に残る康治元年銘の石造六重層塔と仁王像】
  • 大隅国分寺を建てるに当たっては日向国の援助と影響を受けたものと考えられます。平成12年度から霧島市教育委員会により重要遺跡確認調査が行われており,今後,大隅国分寺について研究が進んでいくことでしょう。
  • 蔵骨器の出土状況(財部城ヶ尾遺跡)タネ嶋の国分寺については,その位置,規模ともに全くわかっていません。
    鹿児島の国分寺・国分尼寺についてはいまだ不明な部分が多く,これからの発掘調査や文献の研究によって新しい事実が解明されていくことでしょう。

    信仰心の薄れてしまった現代の私たちには想像もつかないかもしれませんが,仏教は国分寺の建設の他に,人々の思想や文化などにも大きな影響を与えました。
  • 【写真 蔵骨器の出土状況(財部城ケ尾遺跡)】
  • 火葬の風習もその一つであり,鹿児島では蔵骨器(ぞうこつき)の出土にあらわれています。蔵骨器には土師器(はじき)のカメや須恵器(すえき)の壺が使用され,土師器や須恵器でフタをします。中には軽石や自然礫(れき)でフタをする場合もあります。最近調査された財部城ケ尾(たからべじょうがお)遺跡では,土師器椀でフタをした須恵器の蔵骨器が出土しました。蔵骨器の中には焼骨と炭がおさめられていましたが性別等はわかりませんでした。当時は,現在のように火葬が一般化していないため,火葬されるのは高貴な身分の人に限られていたようです。もしかしたら国分寺建設に力を尽くした仏教をあつく信仰する有力者だったかもしれません。
  • 用語解説
  • 神仏分離令(しんぶつぶんりれい) 政府が神道国教化のため神社を寺院から独立した。
    国分寺・国分尼寺(こくぶんじ・こくぶんにじ) 国家の平安を祈るために国ごとに建てた寺。
    国府(こくふ) 国の役所があった場所。
    伽藍(がらん) 塔・金堂・講堂など寺院を構成する建物。
    蔵骨器(ぞうこつき) 洗骨あるいは火葬骨を納める容器。
  • (文責)有馬 孝一・切通 雅子

縄文の森から 平成27年3月

平成27年3月6日(金)

おすすめ!展示コーナーのお知らせ

 地下(ちか)式横穴(しきよこあな)()立体(りったい)()()り」
展示スタート!

古墳(こふん)時代の(みなみ)九州特有(きゅうしゅうとくゆう)(はか)である地下式横穴墓が,189()もまとまって見つかった立小野堀遺跡(鹿屋(かのや)市)。
 その(なか)で,多くの特徴(とくちょう)を残している232号墓を記録保存の一手法として,立体剥ぎ取りを行いました。今後,報告書作成のため観察等を行う予定です。
 工具を()()しながら竪穴(たてあな)玄室(げんしつ)()った痕跡(こんせき)を,はっきりと確認できます。備え付けのライトで,玄室内を照らしてご覧ください。

考古ガイダンス第1回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第1回 農業開発総合センター
  • ■縄文時代晩期の様相■
  • 晩期の浅鉢形土器金峰山から東シナ海に目をやると眼下に金峰町と吹上町が接した小高い大野原台地(おおのばるだいち)が開けています。現在,ここでは「食の創造拠点鹿児島の形成」の一環として鹿児島県農業開発総合センターが建設されつつあります。
    それに先立って,現在,農業開発総合センター遺跡群の発掘調査が行われています。ここは,23の遺跡が確認され,旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・古代・中世の遺構や遺物が出土する複合遺跡です。今回は,その中でも縄文時代晩期に注目してみたいと思います。 
    県内で確認されている縄文時代晩期の主な遺跡としては,加世田市の上加世田(うえかせだ)遺跡・吹上町の黒川洞穴(くろかわどうけつ)・出水市の沖田岩戸(おきたいわと)遺跡・末吉町の入佐(いりさ)遺跡・鹿屋市の榎崎(えのきざき)B遺跡などが挙げられます。
  • 【写真 晩期の浅鉢形土器(入佐式土器)出土した時の様子】
  • 縄文時代晩期は,今から約3,000年前から2,300年前にあたり,このころになると縄文時代の生活も次第に変化してきました。
  • このことは,出土土器から知ることができます。土器には文様が描かれなくなり,形の種類も増え,煮炊き用の深鉢や盛りつけ等に使われたと思われるよく磨かれた薄くて硬い浅鉢等が作られています。これらの土器は時間の推移につれ,上加世田式・入佐式・黒川式土器と変化していきます。
  • この後,本格的な水田での米作りが始まる弥生時代を迎えることとなります。
  • ■謎の柱穴跡■
  • 柱穴列農業開発総合センター内の遺跡群の中では,諏訪牟田(すわむた)遺跡・諏訪前(すわまえ)遺跡,建石ケ原(たていしがはら)遺跡を中心に縄文時代晩期の遺物や遺構が確認されています。

    諏訪牟田遺跡と諏訪前遺跡は,大野原台地のほぼ中央部に,建石ケ原遺跡は東部に位置し,標高約50メートルで,現在,農業大学校の研修棟や学生寮が建設中です。

    諏訪牟田遺跡と諏訪前遺跡では,入佐式の土器片や石器等が多く出土しています。中でも緑色の石で作られた管玉(くだだま)・勾玉(まがだま)・丸玉,土製垂飾品(どせいすいしょくひん)は注目されています。また,農工具(鍬)として使用されたのではないかと思われる打製石器も出土しています。
  • 【写真 柱穴列/5つの柱穴が並んで検出された。柱穴の深さや埋土を調べるために半分に切っている】
  • 遺構としては,柱穴列(柱穴が3~6個一列に並んでいるもの),竪穴住居跡,一間×一間の掘立柱建物跡,焚火跡(たきびあと),土坑,埋設土器などがあります。建石ケ原遺跡では,晩期としては非常にめずらしい道跡と思われる遺構が発見されています。
  • 柱穴列は,柱穴3~6個が一列に並んで検出されるものです。諏訪前遺跡と諏訪牟田遺跡で,それぞれ9か所が確認されています。これらは,分布域と並んでいる方向の関係から2つのグループに分けられます。このことは作られた時期差を示すものではないかと考えられます。こうした柱穴列は,全国的にも類例を見ない遺構で,用途については,周辺遺物の状況や同時期の竪穴住居跡が1基しか発見されていないことなどから生活遺構としてとらえ,柱穴の深さからしても居住用の建物としての可能性が指摘されています。 
  • ■埋設土器と道跡遺構■
  • 晩期の深鉢形土器(入佐式土器)
    晩期の深鉢形土器(入佐式土器)
    埋設された状態で出土したもの
    左の埋没土器の埋土を完掘した。
    左の埋設土器の埋土を完掘
  • 埋設土器は諏訪前遺跡で1基,諏訪牟田遺跡で3基が確認されています。これらは,地面に掘られた穴の中に深鉢形土器を埋めたものです。丁寧に埋められていることや底部が打ち欠かれていることなどから,埋葬に関わる遺構ではないかと考えられています。

    道跡遺構は北北東から南南西にかけて弓なり状に130メートル検出され,幅は約3メートル,深さは約30センチメートルの浅い溝状です。底面には硬化面が見られましたが,この硬化面は開聞岳噴出物の灰ゴラで覆われています。この灰ゴラは縄文時代晩期から弥生時代前期頃の噴出物で,埋土からは晩期の遺物が出土していることから,晩期としては非常にめずらしい道跡と考えられます。
  • ■農業開発総合センター■
  • 農業開発総合センターには,耕種試験研究施設や農業大学校などが整備されています。これからの農業を支える技術や担い手となる人財育成の拠点となっていくところです。
    これまでの発掘調査から,この大野原台地では縄文の太古より人々の生活が営まれていたことが分かってきています。先人の息吹を受けながら,次世代に向かって情報を発信していく新生大野原台地の完成も間もなくです。
    農業大学校は平成15年春開校,試験研究施設は平成17年度末開設を目処に整備が進められています。
  • 用語解説
  • 土製垂飾品
    (どせいすいしょくひん)
    土(粘土)で作られた特殊な形をした小型のもので,穴が開いていることから首飾りと考えられる。
    灰ゴラ(はいごら) 縄文時代晩期から弥生時代前期の頃にかけて開聞岳が噴火した時の火山灰。
  • (文責)山崎 省一

縄文の森から 平成27年2月

平成27年2月2日(月)

常設展示室の河口コレクションコーナーをリニューアルしました。

河口コレクションのうち
(みや)田ヶ(たが)(おか)(かわら)窯跡(かまあと)
(姶良市),「(ひら)(がこい)貝塚(かいづか)(霧島市)出土資料

常設展示室で,長年,鹿児島県の考古学界をリードしてきた考古学者,河口貞徳(かわぐちさだのり)氏(1909~2011)が調査した遺跡の考古資料等を紹介しています。
 今回紹介するのは,姶良市姶良町にある宮田ヶ岡瓦窯跡と,霧島市国分上井にある平栫貝塚です。
 宮田ヶ岡瓦窯跡は,霧島市大隅国分(おおすみこくぶん)()の瓦を作った窯跡ということで,平成16(2004)年に,「大隅国分寺跡(つけたり)宮田ヶ岡瓦窯跡」として,国史跡「大隅国分寺跡」に追加指定されました。
 また,平栫貝塚は,縄文時代早期の貝塚で,貝殻(かいがら)(じゅう)(こつ)のほか,平栫式土器,塞ノ(せの)(かん)式土器,石器などが出土しました。南九州では,縄文時代前期以降の貝塚が見られますが,これよりも早い時期の貝塚として知られています。

縄文の森から 平成27年1月

平成27年1月20日(火)

おすすめ!展示コーナーのお知らせ

 南日本新聞掲載中(いにしえ)の美術品」紹介コーナー

平成26年12月までに南日本新聞の「古の美術品」として紹介された出土品を展示しています。間近で見られる(いにしえ)の形や当時の人々の技は,必見です。


ただ今開催中!

ミニ企画展「幕末の薩摩藩士」

薩摩英国留学生渡欧150周年を迎えるにあたり,幕末から明治維新という時代の変化の中で,重要な役割を担った鹿児島の先人たちを紹介しています。

 【期 間】 開催中~2月14日(土)
 【場 所】 展示館ホール

縄文の森から 平成26年12月

平成26年12月25日(木)

体験メニュー「縄文シュシュ」リニューアル!

上野原縄文の森の体験メニュー「縄文シュシュ」を,12月25日(木)からリニューアルしました。
 使用する毛糸をふんわり・もこもこの素材に変更したので,よりボリュームのあるシュシュを作ることができるようになりました。
 ご自分用はもちろん,ご家族・ご友人などへのプレゼントとして,ふわふわのシュシュを作ってみませんか。

完成品

【体験料金】1個100円
【所要時間】60分 ※所要時間は目安です
【 問合先】TEL 0995-48-5701
     E-mail:uenohara@jomon-no-mori.jp


平成26年12月10日(水)

ただいま開催中!

第41回企画展

古墳時代のかごしま~1,500年の時を超えて~

近年,さらに明らかになってきている鹿児島の古墳時代について,他県の資料(重要文化財など)との比較も交え,南九州の墓の形態や分布状況,副葬品,住居内遺物などとともに,県有形文化財(考古資料)として指定されている出土品などを紹介します。

 【期 間】11月28日(金)~3月22日(日)
【場 所】展示館企画展示室
【入場料】展示館利用料金<
      大人310円 高・大学生210円 小・中学生150円

企画展講演会
【日 時】平成27年1月24日(土) 午後1時30分~午後3時
【場 所】展示館多目的ルーム
【講 師】国立歴史民俗博物館 名誉教授 広瀬 和雄 氏
【資料代】100円
【定 員】80名程度(要事前申込み)
 ※講演会終了後,企画展示室にてギャラリートークを行います。(ただし,別途展示館利用料金が必要)
【問合・申込み先】TEL 0995-48-5701

天辰寺前古墳 銅鏡
薩摩川内市教育委員会

神領10号墳盾持人埴輪
鹿児島大学総合研究博物館

第41回 古墳時代のかごしま

  • 上野原縄文の森 第41回企画展
    古墳時代のかごしま
    ~1,500年の時を超えて~
  • 開催期間:平成26年11月28日(金)~平成27年3月22日(
  •    
      近年,畑地の陥没(かんぼつ)により発見された塚崎(つかざき)古墳群の地下式横穴墓や外溝の存在が確認された(よこ)()古墳,大規模な集団墓地が判明した(たち)小野(おの)(ぼり)遺跡など,鹿児島の古墳時代がさらに明らかになってきています。
     今回の展示では,鹿児島の古墳時代について,他県の資料(重要文化財など)との比較も交え,南九州の墓の形態や分布状況,副葬品,住居内遺物など
    を紹介しています。
  • ■注目の一品~今回の展示品の中から~■
  •  
     短甲(たんこう)(かぶと)・刀剣類
     
     古墳や地下式横穴墓などの副葬品には, 銅鏡のほか,須恵器や土師器などの日用品,短甲・冑・刀剣類などの武具・武器,馬具,装飾品など様々なものがあります。
     下の写真の,(はらい)(がわ)地下式横穴墓から出土した短甲は,(やり)や刀の攻撃から身を守るもので,鉄板を何枚か組み合わせて鉄の(びょう)でつなぎ,正面から開閉して着用するよう蝶番(ちょうつがい)式に作られています。また,(しょう)(かく)(つき)(かぶと)は,形が古代の軍船の()(さき)(衝角)に似ていることから,このように名付けられています。
     
     ※ 画像にマウスを合わせると,ご覧になりたい部分が拡大されて表示されます。
     短甲(左)
    衝角付冑
    (右)
    【県指定有形文化財】
    鉄剣
     

    【重要文化財】
    象嵌装(ぞうがんそう)大刀 (たち)
    【県指定有形文化財】
     祓川地下式横穴墓 向野田古墳   中尾地下式横穴墓
    鹿屋市教育委員会  熊本県宇土市教育委員会 鹿屋市教育委員会
         
    第41回企画展データファイルは,ここからダウンロードできます。  
  • ■企画展講演会■
  • ※ 終了しました
  • ■企画展ギャラリートーク■
  •  企画展開催中に展示の解説を行います。
     【日時】 開催中の毎週土・日・祝日
          1回目 10:30~   2回目 14:30~
             ※各回30分程度
     【会場】 企画展示室   
     
     ※ 背景は「南九州の古墳墓分布図(橋本2012改変)を参考にしてデザインしました。