鹿児島県上野原縄文の森 (公財) 鹿児島県文化振興財団上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター (公財) 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
MENU

鹿児島県立埋蔵文化財センター

鹿児島県上野原縄文の森 HOME 公財 鹿児島県文化振興財団鹿児島県上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター 公財 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター

投稿者: 管理人

発掘調査が始まりました~名主原遺跡(鹿屋市吾平町)~

令和5年5月,鹿屋市吾平町の名主原遺跡で発掘調査を開始しました。

昨年度は,古墳時代の花弁形建物跡や土器・石器がみつかっています。また,石包丁や砥石も出土しており,稲作を行っていた可能性が考えられます。

今年度の調査でも更に建物跡や溝跡,多くの土器や石器などが見つかっており,今後の成果が期待されます。

発掘作業の様子

土器が多く出土しています

建物跡も見つかっています

 

考古学講座第2回「新!国指定史跡 鹿児島城のヒミツ」が開催されました!

令和5年5月20日(土),上野原縄文の森にて考古学講座第2回「新!国指定史跡 鹿児島城のヒミツ」が開催されました。

鹿児島県観光・文化スポーツ部文化振興課 兼 鹿児島県歴史・美術センター黎明館 学芸課の西野 元勝氏を講師にむかえ,昨年度,新たに国史跡となった鹿児島城跡について解説しました。

鹿児島県民にとっては,長年「鶴丸城」として親しまれてきた鹿児島城ですが、その歴史については謎に包まれていました。今回の講座では,近年行われた発掘調査の成果と現在まで残された文献資料などから,明らかになった鹿児島城の様相についてお話されました。

鹿児島城が築城された江戸時代から西南戦争を経た明治時代のみならず,昭和にまで話は至り,なかでも,城内から出土した遺構や遺物から能や茶の湯をたしなみ薩摩焼を使用していたという,華麗な暮らしぶりについても軽快な語り口で楽しく解説して頂き,賑やかな講座となりました。

近年の鹿児島城跡についての発掘調査成果については,鹿児島県立埋蔵文化財センターから調査報告書が発行されています。こちらも是非ご覧ください。↓

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(205)「鹿児島(鶴丸)城跡」

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(211)「鹿児島城跡(犬追物馬場・火除地)」

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(214)「鹿児島(鶴丸)城跡 -北御門跡周辺・御角櫓跡周辺・能舞台跡-」

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(215)「鹿児島(鶴丸)城跡 -総括報告書-」

 

【北山(きたやま)遺跡(南九州西回り自動車道建設)】報告書番号(51) ~その2~

鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センターでは,令和4年度に4冊の発掘調査報告書を刊行しました。鹿児島県立埋蔵文化財センターのホームページに掲載されていますのでご覧ください。これらの報告書の中から,注目すべき成果や今後の研究課題などを紹介したいと思います。第3回は,公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書(51)の北山遺跡1の古代編です。

北山遺跡では,古代(9世紀代)の遺物が出土しており,これまでの研究で指摘されていたような英禰(あくね)駅跡が,周辺に所在するのかどうか議論するための資料となりそうです。

古代の遺物は,土師器や須恵器のような日常で使用される調理具や食器類ばかりでなく,中国でつくられた越州窯青磁(えっしゅうようせいじ)や須恵器の蓋を転用した硯(すずり)などが出土しています。これらは一般的な集落ではほとんどみられないもので,官衙(かんが:現在の役所にあたる)に相当する施設で使われることが多いものです。また,「金」とヘラ描きされた土師器も出土しています。

阿久根市の波留(はる)地区から山下地区にかけては古代官道が通り,約16㎞ごとに置かれた駅家(うまや)の一つである英禰駅が所在していたのではないかと指摘されていました。今回の調査区内からは古代の道に関する遺構は検出されませんでしたが,近くを官道が通っていた可能性が高まってきました。北山遺跡から見える範囲に古代官道が通っていると想像するだけで,普段見ている景色が違って見えるようです。

現在の阿久根市は,出水市とともに,古代の薩摩国出水郡の範囲内にありました。古代の薩摩国は13の郡(行政区)に分かれていました。736(天平8)年の『薩摩国正税帳』には「隼人十一郡」と記されており,薩摩国には「隼人」と呼ばれた人々が暮らしていました。そのため、残りの2郡は非隼人の地ということになります。その2郡は,薩摩国府のあった高城(たき)郡と肥後国に接する出水郡と言われています。県内でほとんどみられない8世紀後半~9世紀代の竈(かまど)付き竪穴建物跡が,薩摩川内市大島(おおしま)遺跡と出水市大坪(おおつぼ)遺跡で検出されており,文献上,非隼人郡とされたことを両遺跡が示しているのかもしれません。

北山遺跡周辺は,これからも発掘調査や整理作業を進めていきますので,さらなる証拠がみつかることを楽しみにしたいと思います。

中国製の越州窯青磁  復元口径:14㎝

転用硯  復元口径:13.6㎝

刻書土器  底径:6.6㎝

ワクワク考古楽出前授業in国分南中学校

  5月10日,霧島市立国分南中学校1年生を対象に,ワクワク考古楽の授業を実施しました。国分南中学校は平成11年度から校区内に所在する上野原遺跡のボランティアガイドを夏休みに実施しています。そこで今回は,「上野原遺跡を知ろう!~どんなところがスゴイ?~」と「国分南中学校ボランティアガイド」の2つについて授業を行いました。まず,上野原遺跡については,「二つの南の縄文文化」に焦点を当て,10,600年前の国内最古・最大級の集落跡として国指定史跡になっていることや,8,500年前の祭祀を行ったと考えられる場所から出土した遺物が国の重要文化財に指定されていることなどを学習しました。

次に国分南中学習とボランティアガイドついて,これまでの経緯や実際に中学生時代にガイドを行った卒業生の体験談や,最近のガイドの様子などを話しました。

生徒のほとんどが小学校時代に上野原縄文の森を訪れた経験があり,上野原遺跡の重要性を再確認する良い機会となりました。土器や石器等本物の資料にも触れてもらいました。

学習を終えた生徒の中には,上野原遺跡やボランティアガイドに興味をもち,ガイドをやってみたいという声もあがりました。

今回のワクワク考古楽では,身近な地域の遺跡を知り学ぶだけでなく,遺跡の活用に参加することの意義や重要性も学習することができました。

上野原遺跡について話をしました。

卒業生から中学時代のガイド体験を語ってもらいました。

本物の土器を使って授業を行いました。

財団体験フェアinイオンタウン姶良!

来月6月18日(日)に、イオンタウン姶良で、鹿児島県文化振興財団体験フェアが開催されますのでご案内します!
【日時】令和5年6月18日(日)
【場所】イオンタウン姶良

どんぐりアートmini、バルーンアート体験などのワークショップ(いずれも無料で体験できます)
東街区1階波のコートで、12時半~15時半まで開催しています。
また、東街区1階風のコートでは、子どもから大人まで楽しめるミニコンサートを開催します。(11時半~/14時~)
ぜひ、買い物のついでに、近くに来られたついでに、財団体験フェアに立ち寄ってください。お待ちしています。

キリシマクエストについてご紹介します!

霧島市観光協会の事業で、上野原縄文の森を舞台に、「キリシマクエスト」を実施しています。

キリシマクエストとは、チーム対抗で、冒険の地図をもとに、制限時間内にできるだけ多くのチェックポイントを回り対象物を写真に収めるかを競い合うゲームです。シンプルなルールですが、高得点を取るためには、「戦略性」「チームワーク」「タイムマネジメント」など学校生活や仕事上でも必要な能力を求められるゲームです。課外学習や社員研修のメニューとしてぜひご検討ください。

詳細は、公益社団法人霧島市観光協会(0995-78-2115)までお問合せください。

https://kirishimaquest.com/

【北山(きたやま)遺跡(南九州西回り自動車道建設)】報告書番号(51) ~その1~

鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センターでは,令和4年度に4冊の発掘調査報告書を刊行しました。鹿児島県立埋蔵文化財センターのホームページに掲載されていますのでご覧ください。これらの報告書の中から,注目すべき成果や今後の研究課題などを紹介したいと思います。第2回は,公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書(51)の北山遺跡1の古墳時代編です。

 

【北山(きたやま)遺跡(南九州西回り自動車道建設)】報告書番号(51) ~その1~

北山遺跡は,高松(たかまつ)川左岸の標高約33mの台地の北側縁辺にあり,この地区の台地上に数か所の遺跡が広がっています。西側から諏訪ノ前(すわのまえ)遺跡,北山遺跡,新城(しんじょう)跡です。今回報告された調査区は,北山遺跡の西側で諏訪ノ前遺跡に隣接した範囲です。

今回報告した調査区では,縄文時代早期(約11,000年前)から近世(18世紀)までの生活痕跡がみつかっています。内容が豊富ですので,数回に分けて紹介します。今回は,古墳時代について紹介します。

阿久根市の古墳時代は,4世紀代の竪穴石室(たてあなせきしつ)が検出された鳥越(とりごえ)古墳や,箱式石棺墓(はこしきせっかんぼ)・板石積石棺墓(いたいしづみせっかんぼ)・横穴式石室墓(よこあなしきせきしつぼ)からなる5世紀末~7世紀初頭に位置づけられる脇本(わきもと)古墳群が知られています。しかし,これらの時期の集落跡はほとんど確認されていませんでした。北山遺跡の発掘調査で,15m四方の範囲に古墳時代前半(4世紀代)の竪穴建物跡が3軒検出されました。海が見える調査区外の北西側へ集落が広がる可能性があります。

煮炊き用として使われた甕(かめ)形土器は,南九州で特徴的な中空の脚台をもちながら,製作技法としては当時の南九州ではあまりみられない器壁を薄く仕上げるタタキ技法が新たに導入されています(報告書掲載番号70)。畿内地域から広がった製作技法が,不知火海(しらぬいかい)を取り囲む地域で流行し,北山遺跡まで伝わったのかもしれません。口縁部が「く」字状に外反し胴部が膨らむ土器(報告書掲載番号141)は,タタキ技法によるもので,白っぽい色調で胎土に赤色砂礫が目立ちます。これは,熊本市植木町北牟田(きたむた)遺跡出土品に類似しており,この土器も不知火海での交流をうかがわせます。

また,興味深い出土品に杓子(しゃくし)形土製品があります。報告書の総括ではこれまで鹿児島県内から出土した27遺跡110点について紹介してあります。古いものは南さつま市金峰町高橋(たかはし)貝塚出土の弥生時代前期(前4世紀頃)のものがあり,多くは北山遺跡と同じ弥生時代終末から古墳時代の例です。杓子形土製品については,水に関係のある祭祀を行った可能性が指摘されています。柄の部分の曲がり具合から,一般的には右手での使用が考えられますが、左手で利用されたのではないかと考えられる例(南さつま市上水流遺跡)もあり,非日常的な行為を行う場合,利き手と逆の手を使ったのかもしれません。

古墳時代の1号竪穴建物  直径:2.3m

脚台のある甕形土器  高さ:33.6㎝

杓子形土製品 長さ:8.7㎝

タタキ技法による甕形土器  復元口径:21.8㎝

 

第66回企画展講演会を開催します!!

第66回企画展「きゅら島あまみの歴史と文化」についての講演会を行います。(講演会には,講師によるギャラリートークも含まれます。)

日時:6月3日(土)10:00~12:00 

場所:上野原縄文の森多目的ルーム 

講師:(公財)埋蔵文化財調査センター

調査第二係長 川口 雅之氏

定員:80人程度(要事前申込み)

資料代:100円(別途展示館利用料金が必要)

 

 

 

火おこし体験の様子を公開します!

上野原縄文の森では、火おこし体験や土器作り、どんぐりアートなど、様々な縄文体験メニューをご用意しています。
写真は高校生団体の火おこし体験の様子です。マイギリ式の火おこしは、コツを掴めばどなたでも発火させることができます。火がついた瞬間は皆さんとても嬉しそうな顔をされます。縄文時代の人々と同じ気持ちになれる瞬間かもしれません。
※写真は団体様ですが、個人の方でも体験は可能です。
※火おこし体験は有料(50円)です。強風時及び雨天時は不可。小学4年生以下は、保護者の補助をお願いします。