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投稿者: 管理人

【北山(きたやま)遺跡(南九州西回り自動車道建設)】報告書番号(51)  ~その3~

鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センターでは,令和4年度に4冊の発掘調査報告書を刊行しました。鹿児島県立埋蔵文化財センターのホームページに掲載されていますのでご覧ください。これらの報告書の中から,注目すべき成果や今後の研究課題などを紹介したいと思います。第4回は,公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書(51)の北山遺跡1の中世遺物編です。

【北山(きたやま)遺跡(南九州西回り自動車道建設)】報告書番号(51)  ~その3~

北山遺跡18~39区で出土した中世(13~16世紀代)の遺物には,龍泉窯(りゅうせんよう)系青磁,白磁,青花(せいか),中世須恵器,土師器皿,陶器,擂鉢(すりばち),滑石製石鍋,仏具,鉄器,銅銭,鞴羽口(ふいごはぐち),金床石(かなとこいし),鉄滓(てっさい)などがあります。

龍泉窯系青磁の碗には,蓮の花をモチーフとした鎬連弁文(しのぎれんべんもん)が描かれており,13世紀に中国南西部の浙江(せっこう)省龍泉県周辺でつくられたものです。白磁の皿は,口唇部内側の釉(ゆう)を削り取った口禿(くちはげ)と呼ばれるものです。青花は青色の絵の具で文字や文様を描いたもので、碁石を入れる容器の底の形をした碁笥底(ごけぞこ)と呼ばれる小皿や,高台をもつ碗などがあります。また,小さな破片ですが梅瓶(めいぴん)や黄釉鉄絵陶器盤(おうゆうてつえとうきばん)などの高級品が出土しています。

陶器には,東海地方でつくられた常滑(とこなめ)焼の大甕や,岡山県の備前焼などがあります。常滑焼大甕の胴回りは約1mもあります。擂鉢(すりばち)は東播(とうばん)系と呼ばれる,兵庫県でつくられたものではないかと考えられるものです。南九州では中世に入るまで,食べ物を磨(す)り潰(つぶ)して調理する習慣はほとんど無かったため,九州から東側地域の食文化が伝わってきたこともわかります。滑石製石鍋は,長崎県西彼杵(にしそのぎ)半島でつくられたもののようです。当時の記録によれば,滑石製石鍋4個が牛1頭に匹敵するとのことですので,相当高価なものであったことがわかります。なお,これまで熊本県荒尾市の樺番城(かばばんじょう)窯産須恵器と考えられていたものを,現地のものと比較したところ,異なる点が多く慎重さが求められるとともに生産地の追究が必要となりました。

鉄器には,弓矢の鉄鏃(てつぞく)や角釘などがあります。金床石と鞴羽口が出土していますので,鉄を高熱で加工し易くし道具をつくる鍛冶(かじ)がおこなわれていたようです。その時排出される椀型の鉄滓も出土しています。

これらの他に,漁網用の土錘(どすい),瓦質(がしつ)製の火鉢,風炉(ふろ)と呼ばれる屋内用の炉,化粧品やお香などを入れたと考えられる合子(ごうす),青銅製の簪(かんざし),碁石,中国の洪武通宝(こうぶつうほう:1368-1398年)や治平元宝(ちへいげんぽう:1064-1067年)などが出土しています。また,ピットの中に貝類が入っており,年代測定によって1321calAD-1426calADという結果が得られましたので,中世の人々が貝を食べて殻をピットの中に捨てたことがわかりました。

13世紀から16世紀にかけては,この地を治めていた莫禰(あくね・阿久根)氏やその家臣が暮らしていたと考えられ,彼らに関係する生活用具や交易品などの可能性があります。

なお,報告書には「北山遺跡および周辺の地形と地質」について報告されており,比較的浅い層から330~300万年前の阿久根火砕流などが堆積していることを紹介しています。地形や地質は,それぞれの時代の生活と密接な関係がありますので重要です。

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(51)「北山遺跡1」

 

車輪状のタタキ目のある須恵器

口禿の白磁皿

北山遺跡に持ち込まれた各地の道具

 

「華瓶(けびょう」神仏習合のかたち・「懸仏」の一部(大崎町:照信院跡(しょうしんいんあと))

照信院は8世紀に新熊野三社権現を勧請し,本地阿弥・薬師・観音の三尊を安置したことが由来とされています。その後,江戸時代まで南九州最大の修験道場として君臨しますが,明治時代の鹿児島の激しい廃仏毀釈で破壊されます。

神仏習合に関係の深い,懸仏(かけぼとけ)の一部である華瓶(けびょう)が出土しています。(長さ4.1cm,幅1.7cm)

華瓶

参考 聖観音懸仏 45.5㎝ 像高21.0㎝ 重要文化財 東京国立博物館デジタルコンテンツから引用

文化財防火デー

1月26日は,法隆寺の金堂壁画が焼損した日(昭和24年)です。昭和30年にこの日を「文化財防火デー」と定め,貴重な文化財を火災・震災などから守るために,全国で防火運動が展開されています。

当センターでも1月24日に埋蔵文化財センターで,1月25日に第2整理作業所で防火訓練を実施しました。

どちらの訓練でもスムーズに避難ができました。また,消火訓練も実施しました。

これからも,防災意識を高めて業務に当たってまいります。

迅速に避難場所に集合できました(第2整理作業所)

消火器を使った消火訓練も行いました(第2整理作業所)

 

速報展開催中!

展示館1階ホールで速報展を開催しています(観覧無料)
南日本新聞に最近掲載された、旬な遺物を展示しています
ぜひご覧下さい😊

【展示されている遺物】※リンク先は埋蔵文化財調査センターページ
【弥生時代の木製の弓と木製品】(六反ケ丸遺跡(出水市))(南日本新聞1/14掲載)
【懸仏(かけぼとけ)】(諏訪ノ前遺跡(阿久根市))(南日本新聞1/16掲載)

ワクワク考古楽出前授業(霧島市立国分小学校)

1月24日,霧島市立国分小学校の6年生(4クラス138人)で,ワクワク考古楽出前授業を実施しました。

国分小学校の建っている場所は,島津義弘が築いた舞鶴城跡であると共に,本御内(もとおさと)遺跡という,縄文時代から近代までの複合遺跡です。

今回の出前授業では,平成29年度に行った発掘調査の成果を紹介しながら,どのような遺構や遺物が見つかったのか紹介しました。

子どもたちは,発掘調査の写真を見ながら,遺跡についての理解を深めることができました。

授業の後半では,実際に本御内遺跡から出土した土器や石器,古代の瓦,陶磁器類を展示し,手に取って重さや感触を確かめていました。また,タブレットを使って遺構や遺物の3D体験を楽しみました。

子どもたちの感想

  • 何千年も前の遺跡や土器・石器などが,霧島市にたくさんあることが分かりました。
  • 実際に出てきた土器などをさわりました。普段はめったにさわれないものなので,貴重な体験でした。
  • 国分小学校の周辺の歴史を知ることができた1時間でした。また,ほかの機会があれば,自分でも調べてみたいなと思いました。

本御内遺跡報告書(PDF)
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(199)「本御内遺跡」

授業の様子「鹿児島県内や霧島市内に遺跡はいくつある?」

本御内遺跡で見つかった遺物を紹介

実物の土器や石器で使い方を説明

タブレットを使って,3D体験

弥生時代の鉄鏃 (大崎町:永吉天神段遺跡)

弥生時代中期(約2,300年前)のお墓の中から出土しました。県内でも一番古い時期の鉄製品になります。

戦いで鉄鏃が刺さって亡くなった人を埋葬したものなのか,副葬品なのか,はっきりと分かっていません。

報告書
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第1分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第2分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)

西南戦争の銃弾(伊佐市:高熊山激戦地跡)

明治10(1877)年,西南戦争の大口攻防では、西郷軍の辺見十郎太(へんみじゅうろうた)が指揮する雷撃隊(らいげきたい)が伊佐市坊主石山(ぼうずいしやま)に,池辺吉十郎(いけべきつじゅうろう)指揮する熊本隊が高熊山に陣を構え,堡塁(ほうるい)(塹壕)を築いていました。6月13日から20日まで,髙熊山や坊主石山で政府軍と激しい戦闘が行われました。

高熊山の発掘調査では,9基の堡塁跡と銃弾や薬莢,砲弾の可能性のある鉄製品などが出土しました。

報告書
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(210)「滝ノ上火薬製造所跡・高熊山激戦地跡・チシャケ迫堡塁跡群・岩川官軍墓地」