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鹿児島県上野原縄文の森

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投稿者: 管理人

つくってドキどき体験 第2回「ゆらゆらトンボを作ろう」が開催されました!

令和2年8月8日(土)・10日(月祝)につくってドキどき体験 第2回 「ゆらゆらトンボを作ろう」が開催されたよ!
ご参加いただきありがとうございました。

講座では,「竹」をつかって枝の上で上手にバランスをとるトンボを作ったよ!
竹をガスバーナーの火であぶったり,ハンダゴテを使って枝を自由自在に曲げたり・・・
初めて使う工具には緊張したけれど,とってもステキな「ゆらゆらトンボ」が完成したよ。
さっそくお家でかざってみよう!

 

 

夏休みの研修講座

 埋蔵文化財センターでは,学校の先生方や市町村の埋蔵文化財担当職員向けに,以下の講座を開催しています。

  • 「パワーアップ研修講座」(10年経験者研修)
  • 「先生のための考古学講座」(フレッシュ研修認定講座,希望者)
  • 「埋蔵文化財専門職員養成講座」(市町村文化財担当職員等,初級・中級・上級あり)

 今年も,7月30日(木)・31日(金)に小学校・特別支援学校の先生方対象の「パワーアップ研修講座」を,8月6日(木)・7日(金)に中学校・高等学校の先生方対象の「パワーアップ研修講座」,「先生のための考古学講座」と市町村の担当者対象の「埋蔵文化財専門職員養成講座(初級)」を実施しました。

 各講座では,共通して以下の内容について研修を行いました。

  1. 埋蔵文化財センターの業務と役割
  2. 埋蔵文化財センターの施設見学
  3. 報告書作成の業務体験(拓本作成など)
  4. 遺跡からわかる鹿児島の歴史と文化
  5. 学校の授業における埋蔵文化財の活用例
  6. 上野原縄文の森の業務と役割
  7. 上野原縄文の森の施設見学
  8. 縄文体験(アクセサリー作りなど)

 先生方や市町村の職員の方々は,講座を通して考古学や発掘調査について理解を深めたり,土器や石器の実物に触れることで,埋蔵文化財に対する興味・関心を高めたりすることができたようです。

 これを機に,授業での活用のアイデアが得られ,各市町村の文化財を学ぶきっかけとなれば,ありがたいことです。

 また,今年は例年よりも多くの参加をいただきましたが,新型コロナウイルス感染症対策をとり,「三密」をさけて,実施することができました。

 来年度も開催予定ですので,興味のある先生方や市町村の職員の方々は,ぜひお申し込みください。

【参加者の感想】

  • 県内には,本当にたくさんの遺跡があることを初めて知りました。こんなにも身近なものなんだということも知りました。
  • 自分で洗った土器,拓本にした土器に愛着がわき,とてもいとおしく感じました。
  • 「歴史から学ぶ」という言葉を実感した研修となりました。
  • 目の前に9500年前のものがあると思うだけで,ドキドキワクワクしました。
  • 授業に活用できるキット,出前授業など,子どもたちが本物に触れる機会があることを,初めて知りました。

 

開講式の様子

講義「埋蔵文化財センターの業務と役割」

センター内の見学(エントランス)

センター内の見学(収蔵庫)

業務体験「土器の水洗い」

業務体験「拓本」

上野原縄文の森の施設見学

体験講座「勾玉づくり」

埋蔵文化財を活用した授業づくりの話し合い

つくってドキどき体験 第1回「めざせ縄文人!弓矢作り」が開催されました!

令和2年7月24日(金祝)・26日(日)につくってドキどき体験 第1回 「めざせ縄文人!弓矢作り」が開催されたよ!
ご参加いただきありがとうございました。

講座では,「竹」をつかった弓矢作りに挑戦。
普段の縄文体験「弓矢作り」よりちょっと難しい,工具を使った弓矢作りに挑戦したんだ!
竹をガスバーナーの火であぶったり,グラインダーという工具で削ったり・・・
初めて使う工具には緊張したけれど,自分で作った弓矢は格別!

一人前の縄文人狩人になれたかな?

(通常の縄文体験,ご予約はコチラから)

 

大口高等学校での出前授業

 7月29日(水),鹿児島県立大口高等学校の日本史専攻の3年生へ,「ワクワク考古楽(授業支援)」を実施しました。
 昨年度,高熊山激戦地跡の発掘調査成果を学んだ生徒たちです。本年度は,「埋蔵文化財センターの役割と地域の遺跡を理解する」と題して,学習を行いました。
 県立埋蔵文化財センターが発掘を行った鹿児島紡績所跡や,鹿児島市が発掘を行った旧紡績所技師館(異人館)の調査成果が,国の史跡指定や世界文化遺産決定などの際に,基礎資料となったことを紹介しました。
 次に,伊佐市の遺跡を学びました。伊佐市は,古くから発掘調査が行われており,塞ノ神(せのかん)式土器といわれる,縄文時代早期の標式遺跡(特定の地域や時代・時期に流行した土器の特徴を示す契機となった遺跡)が存在し,考古学上非常に重要な遺跡が多くあることを学びました。また,下鶴遺跡から出土した土器などに触れ,時代による形や文様,焼き方の違いなどを感じていました。

当日の指導案はこちらからダウンロードできます。(PDF)

第4回 鹿児島(鶴丸)城跡の瓦について

Ⅰ.鹿児島城の概要

 鹿児島城は鹿児島市城山町に築かれた島津氏の居城で,別名鶴丸城とも呼ばれています。城の範囲(城域)は黎明館・県立図書館のある場所だけではなく,西端は黎明館の背後にそびえる城山(上之山城跡),東端は外堀のあったみなと大通り公園,北端は国立医療センター,南端は照國神社や中央公園,山形屋のあたりまでが江戸時代における鹿児島城の範囲と考えられています。

 鹿児島城は初代薩摩藩主島津家久(忠恒)が関ヶ原の合戦直後の慶長6(1601)年頃に築城を始め,慶長末(1615年)頃にほぼ完成したとされています。城の正式な名称は鹿児島城で,「鶴丸城」の呼称は背後の城山の形が,鶴が舞っているように見え,鶴丸山と呼ばれたことにちなむと江戸時代後期の『三国名勝図会』に記されています。

 本来の鹿児島城は,背後の山城(上之山城)と麓の居館からなり,江戸時代前半の絵図では,山城部分の曲輪を本丸,二丸(二之丸)とし,麓の居館は居所(居宅)と記しています。江戸時代を通じて藩政の中心を担ったのは麓の居館部分で,江戸時代後半には,現在黎明館がある三方を石垣と濠に囲まれた藩主の居館を本丸,その西側を二之丸と呼ぶようになりました。また,天明5(1785)年から8代藩主島津重豪により,二之丸の整備拡大が図られました。

 その後,明治に入り,明治2(1869)年に知政所となり,明治4(1871)年の廃藩置県で12代藩主島津忠義が去るまで,270年余り島津氏の居城として,近世鹿児島の発展の中心でしたが,本丸や御楼門は明治6(1873)年の火災で,二之丸は明治10(1877)年の西南戦争で焼失しました。

 明治中期以降は,居館跡に中学造士館,次いで第七高等学校造士館が設立され,戦後は鹿児島大学の文理学部,次いで鹿児島大学医学部と移り変わり,昭和58(1983)年に黎明館が開館しました。

写真1 復元された御楼門

写真2 鹿児島城跡の空撮

図1 島津家久(忠恒)【尚古集成館所蔵】

Ⅱ.瓦の種類と特徴

 平成26年度から始まった発掘調査では,様々な種類の瓦が出土しました(写真3)。瓦は出土地点の近くの建物に葺かれていたものであったり,火災等で崩れた建物の瓦が寄せ集められて廃棄されたものと考えられます。御楼門跡周辺から出土した瓦は現代の瓦よりも一回り大きなものが多く,国内最大級の大きさと言われる御楼門に葺かれていた瓦と考えられます。

 瓦の葺き方には大きく「本瓦葺き」と「桟(さん)瓦葺き」の2種類があります。本瓦葺きは古代から続く古い瓦の葺き方で,丸瓦と平瓦を交互に重ねて葺く伝統的な手法です。一方,桟瓦葺きは江戸時代以降用いられた手法で断面形が「へ」の字になった瓦を重ねて(組み合わせて)葺く手法で,現代の屋根瓦にも多く用いられています。明治5年に撮影された鹿児島城の古写真を見ると,御楼門の瓦には本瓦を用いていますが,本丸屋敷の麒麟の間やサギの間には桟瓦が用いられているのが分かります(写真4,5)。屋根の最も低い部分(軒)には本瓦では軒丸瓦と軒平瓦,桟瓦では軒桟瓦とよばれる瓦当部分に文様を持った瓦が用いられています。出土した軒丸平の文様は,「連珠三巴紋」と呼ばれる全国的に普及した文様のものが多く,軒平瓦には「橘唐草文」と呼ばれる文様が多く出土し,この文様の種類や同じ型(同笵)などを調べることで製作時期や生産地などを推定することができます(図2-1~5)。

 その他にも,装飾瓦として鬼瓦や鯱(シャチ)瓦も出土しました。これらは建物の魔除けとしての意味を持ち,棟端に用いられます。本来は棟の端から雨水が入るのを防ぐ役割があるのですが,建物の目立つ場所にあるため,建物を象徴する意匠的な役割を持っているとも言えます。御楼門の壁には海鼠瓦という板状の瓦を多数用いていました。他にも鳥伏間(とりぶすま)瓦,熨斗(のし)瓦,小菊瓦等といった瓦も出土しています。

写真3 軒丸瓦,軒平・軒桟瓦,小菊瓦,鳥伏間瓦

 

写真4-1 明治初年の鹿児島城(鹿児島県立図書館所蔵)

写真4-2 本瓦葺き(鹿児島県立図書館所蔵,写真3-1の拡大)

写真5-1 島津御本丸池波畔景(鹿児島県立図書館所蔵)
写真5-2 桟瓦葺き(鹿児島県立図書館所蔵,写真5-1の拡大)

 

図2-1 A種(連珠三つ巴文)

図2-2 B種(牡丹文)

図2-3 C種(その他・図は花十字紋)

図2-4 軒平瓦

図2-5 軒桟瓦

Ⅲ.瓦当文様と刻印から見る生産と流通

 軒丸瓦,軒平瓦には連珠三巴紋(図2-1 A種)と橘唐草文以外にも様々な文様の軒瓦が出土しました。図2―2でB種とした牡丹紋や,図2-3のC種(その他)には花十字紋や桐紋等,出土数は少ないものの特徴的な文様の瓦が出土しました。よく知られている島津家の家紋は丸十紋ですが,当初の家紋はただの十字紋で,鹿児島城で出土した牡丹紋や桐紋も家紋として使っていたようです。牡丹紋は元々藤原家嫡流である近衛家の家紋で,近衛家と姻戚関係にあった島津家や上野松平家,伊達家,津軽家が使用していました。桐紋は御兵具所西側と昭和53年の本丸調査の際に出土していますが,牡丹紋に比べ希少な種類です。桐紋は足利幕府や豊臣秀吉が功績のあった家臣たちに使用を許したと言われる貴重な瓦で,中央との繋がりがうかがえる資料と言えます。

 軒丸瓦の中で,花十字紋と呼ばれる瓦が2点出土しました(図2-3 C類の文様)。これは鹿児島市が二ノ丸の調査をした際にも数点出土しており,非常に珍しい瓦です。十字の先端が花ビラのように開き,周囲を珠文が囲む文様で,一見,島津家の丸十紋のようにも見えます。鹿児島県以外では島原の乱でキリシタンが立てこもった原城跡や薩摩川内市の京泊から慶長14(1609)年に移築された長崎市のサントドミンゴ教会跡(勝山町遺跡)から多く出土しているため,キリスト教との関連がうかがえる資料と言えます。

 では,なぜ鹿児島城から出土したのかを考えてみると,島津家第15代当主の島津貴久は,天文18(1549)年に来日したフランシスコ・ザビエルにキリスト教の布教許可を出しています。しかし,豊臣秀吉の時代になり天正15(1587)年にバテレン追放令が出されキリスト教布教は禁止されました。また,初代薩摩藩主島津家久(忠恒)の義母にあたる永俊尼(カタリナ永俊)がキリスト教信者で,後のキリスト教弾圧の中,藩命を受けて種子島の西之表大長野に配流されたという記録があります。鹿児島城の近隣にキリスト教関連の瓦葺き施設が存在したのか,それとも花十字紋瓦を十字架やお守りのように扱っていたのか分かりませんが,当時の宗教観や政治的な背景を考える上で興味深い資料であり,遺構と併せて調査類例を待ちたいと思います。

 他にも,陶器(釉薬)瓦と呼ばれる,陶質で釉薬を塗った軒丸・軒平瓦,丸・平瓦が出土しました。この陶器瓦と類似したものが日置市東市来町にある堂平(どびら)窯跡からも出土しているため,陶器瓦の生産地の可能性があります。堂平窯跡は1620年代に始まり17世紀後半には閉窯したとされており,堂平窯出土の瓦は物原や瓦の調整痕から17世紀後半の所産と考えられています。鹿児島城の陶器瓦が同じものであれば,創建時ではなく城の建て替え時に使われたと考えられます。

 また,出土した瓦には屋号(生産者)や卸先(消費地)等を表したと思われる刻印も多く残されていました(図3)。「太喜」「太宗」「太左衛門」「河野」「上伊敷」「日置」などの他,「玉水堂」「山下小」などの文字がありました。これらの文字が表す意味や出土数量,他地域での出土例などを分析することで,当時の生産/消費地等の流通や社会情勢が見えてくる可能性があります。

図3 様々な刻印

Ⅳ.これからの鹿児島城

 これまでの発掘調査で,鹿児島城の歴史の一部分が解明されてきましたが,文献や絵図にも残っていない,説示できない課題も残されています。また,災害の多い日本列島において,今後地震や大雨などの自然災害により石垣や堀などが損傷を受ける可能性もあります。現代を生きる私たちは過去の教訓から学び,かけがえのない歴史遺産を守り,未来に伝えていかなければなりません。御楼門復元という歴史的転換期を迎えた現在,再度鹿児島城の持つ本質的価値や意義について調査・研究を進め,未来のまちづくりに活かしていきたいと考えています。

(鹿児島県歴史・美術センター黎明館提供)

文責 永濵功治

発掘された日本列島2020展解説動画

現在開催中の「発掘された日本列島2020」展について,文化庁が江戸東京博物館の展示品の映像を撮影し,調査官による遺跡・遺物の解説動画をネット配信しています。
鹿児島県から出品した「鞍曲遺跡出土遺物」も,vol.2で紹介されています。ぜひ,ご覧ください。

解説動画は,下記のリンクからご視聴いただけます。

発掘された日本列島2020(YouTube)

 

檍小学校での出前授業

 7月16日(木),曽於市立檍小学校で,ワクワク考古楽(授業支援)を実施しました。

 まず始めに,上野原遺跡の説明を行いました。上野原遺跡は縄文時代早期(約1万年前)の遺跡で,そのころとしては最大級の集落跡が発見されたことを紹介しました。また,鹿児島県内にある火山やその火山灰が,発掘調査において年代を調べるのにとても役立っていること説明しました。

 次に,学校周辺の遺跡について紹介しました。子どもたちは,自分たちの知っている学校周辺や地域にいくつもの遺跡があることに驚いていました。自分の家が遺跡の範囲に入っているかどうかを確認しようと,興味津々と遺跡地図を見ていました。

 最後に,以前発掘体験を行ったこともある,校区内の原村遺跡の発掘調査で出土した本物の土器や石器に触れ,手触りや重さ,加工の技術を実感することができました。中でも,九州で最も古い可能性のある磨製(みがいて作ること)の環状石製品を間近に見て,感動していました。

当日の指導案は,こちらからダウンロードできます。(PDF)

火山灰が積もった地層から時代を調べます

土器の模様や作り方を観察

実際に手に取って大きさや重さを体感

南大隅町立佐多小学校での出前授業

 6月24日,南大隅町立佐多小学校で,ワクワク考古楽(授業支援)を実施しました。

 授業では,まず,埋蔵文化財センターの仕事の紹介を行いました。次に,縄文時代の衣・食・住について,県内の発掘調査で明らかになったことをもとに説明しました。
 また,町内にある大泊貝塚について紹介し,身近な地域にも遺跡があること,出土した土器の形や模様から,約3,500年前に他の地域との交流の可能性があったことを知り,子どもたちは驚いていました。
 そのあとも,大泊貝塚から出土した土器にふれたり,アカホヤ火山灰を顕微鏡で観察したりするなど,実物をもとに学習を進めました。地域の歴史を体感でき,興味・関心も高まったようでした。

※ 子どもたちの感想から

  •  大泊に貝塚があることを初めて知って,そこから土器が見つかったことがすごいなと思いました。
  •  縄文時代の物や火山灰などを見たりさわったりして,「昔はこんなものを使っていたんだな」と思いました。一番すごいなと思ったのは,アカホヤ火山灰が1メートルくらい積もったということです。
  •  縄文時代の土器をさわることができて,よかったです。土器のもようがとてもすごかったです。
  •  今回の授業で,歴史に関することに興味をもちました。

 今回のように,授業支援の内容は,学校の要望に応じて地域の遺跡の紹介などを行うことも可能です。
授業支援を希望される学校は,埋蔵文化財センターまでご連絡ください。
詳しくは,こちらの「学校向け(授業支援・貸出事業)」のページをご覧ください。

発掘調査で分かった昔の人々のくらしを説明しました

ワークシートに自分の考えを記入しながら学習を進めました

本物の土器や石器を手にして,その用途を考えました

 

2,000年以上前の花が咲いています~大賀(おおが)ハス

 上野原縄文の森の体験エリアにある古代池で,「大賀(おおが)ハス」の花が咲きました。
 「大賀(おおが)ハス」とは,1951年に千葉県の落合遺跡で発掘された,今から2,000年以上前のハスの実で,植物学者の大賀一郎博士が発芽に成功したものです。

 現代に蘇った古代の風景を見に来られませんか? 古代池の手前側で咲いています。今が見ごろです。

 

久保田牧遺跡の発掘調査

 久保田牧遺跡は,鹿屋市吾平町にある遺跡です。

 大隅縦貫道(吾平道路)整備のため,昨年度に引き続き令和2年6月から発掘調査が始まりました。現在,古墳時代から中世の地層の調査を行っており,各時代の遺物が見つかっています。
 このように久保田牧遺跡は,大隅半島中南部における先史・古代の人々の生活がうかがえる貴重な遺跡です。今後も,その調査成果に期待が高まります。

 また,これからの時期の発掘調査は,熱中症対策が必要となります。さらに今年は,新型コロナウイルス感染症対策も重要です。暑さ対策・3密対策をとり,調査を進めていきます。